ある哲学者が、LGBT の人々へのサービスを拒否する権利が誰にもない理由を論じる

Can services be refused to same-sex couples? Stock Photo ID: 703622095 同性カップルへのサービスを断ることはできるでしょうか?

公開日: 2017 年 7 月 25 日午後 9 時 50 分 (EDT)、日本語訳 2023年2月26日

[著作者] Mark R Reiff

記事を音読します。

最高裁判所が Obergefell v. Hodges 事件で同性愛者には結婚する権利があると判決を下して以来、この判決に腹を立てた人々は、権利を否定することからその執行を制限することへと戦略を変えてきました。

たとえ同性愛者が結婚する権利を持っているとしても、人々は自分の宗教を好きなように実践する自由 (liberty) もあると彼らは主張します。 したがって、彼らに対して、同性のパートナーと結婚しようとしている人を「援助したり、教唆したり (aid or abet) 」することを強制することはできないと主張しています。

この主張には確かに何らかの説得力があります。というのは、こうした意味で信教の自由を保護すると主張する法律が、最近 26 の州で提案されているからです。 制定されたものもあります。 そしてほんの数週間前、最高裁判所は、婚姻の平等と信教の自由との間のこの想定される対立を前面に押し出す訴訟 (Masterpiece Cakeshop v. Colorado Civil Rights Commission) を審理することに同意しました。(注1)

しかし、私の見解では、ここで起こっていることを、結婚の平等と信教の自由との間の対立を示していると特徴付けるのは正しくありません。

その理由を理解するには、私のような政治哲学者が自由と権利 (liberties and rights) について話すときに使用するいくつかの用語に慣れることが役に立ちます。

自由 Vs. 権利

自由 (liberties:選択の自由,束縛からの解放 ) は私たちに、行動する、或いは行動を拒否する自由 (freedom:拘束や障害などが存在しないこと ) 、あるいは特定の方法で考えるfreedom さえも与えてくれます。 しかし、liberties は、これらのことを何の干渉も受けずに行う freedom を常に伴うわけではありません。 たとえば、誰もが合法的なビジネスを開始する liberties を持っていますが、他の人は合法的な競争に参加することでそのビジネスに干渉することができます。

対照的に、権利 (rights) はより強力です。 それらは私たちにこれらの freedom を与えるだけでなく、これらの freedom をあらゆる種類の干渉から保護します。 しかし、すべての liberties が権利によって保護されているわけではありません。 したがって、人々が信教の自由 (religious liberty) について話すとき、それがどのような種類の liberty を意味するのかを理解することが重要です。 これらの場合に問題となっている種類の干渉から保護されるのは、liberty ではないかもしれないからです。

実際、ここで問題となる可能性のある 3 つの非常に異なる種類の liberty があります。

さまざまな種類の自由 (Liberty)

まず、「消極的自由 (negative liberty) 」です。 この種の自由は、人々がそれを実行する能力を持っていても、他の人間のエージェント(政府を含む)によって何らかの形で抑制されているかどうかに焦点を当てています。 人々が他人をだますこと、または不純な食品や不当に危険な薬物や製品を販売すること、そして人種、性別、または性的指向に基づいて人々を差別することを禁止する法律はすべて、このように自由を妨げます。

第二に、「積極的自由 (positive liberty) 」があります。 これは、自分の真の自己 (one’s true self) を実現する能力であり、十分な情報があり、望むどんな形の人生でも自由 (free) に選択できる場合に、自発的に選択するような人生を送る能力です。 これは、宗教的な生活、快楽主義的な生活、またはまったく別のものである可能性があります。

誰もが何らかの積極的自由の概念を受け入れています。 ただし、ここで重要なのは、人が受け入れる人生計画ではなく、それが自由に選択され、外部の力によって押し付けられないことです。

最後に、「共和主義的自由 (republican liberty) 」、つまり、他者による恣意的な権力行使からの自由 (freedom) があります。 たとえば、理由もなく解雇されることは恣意的な権力の行使であり、共和主義的自由を侵害することになります。(注2)

消極的自由と積極的自由について、もう少し詳しく

人々がLGBTの人々へのサービスを拒否することを禁止することは消極的な自由の侵害ですが、これはそのような侵害が道徳的に好ましくないことを意味するものではありません。

これは、消極的自由の概念が、私たちができることとできないことについての理論ではないためです。 誰かが私たちの何かをする能力を妨害した場合、この妨害は何らかの方法で正当化されなければならないことを教えているだけです。 何が正当化されるか、またはこの正当化がどの程度強力である必要があるかは事前に決まっている訳ではありません。

しかし、消極的自由への多大な干渉が正当化される可能性があることは明らかです。 実際、政府が毎日多くの方法ですべての人の消極的自由を大幅に妨害しなければ、社会秩序は不可能です。 殺人、窃盗、契約違反を防止する規制など、すべての政府規制はこれを行っており、誰もが支持しています。

WASHINGTON, DC – OCT. 8, 2019: Rally for LGBTQ rights outside Supreme Court as Justices hear oral arguments in three cases dealing with discrimination in the workplace because of sexual orientation. Stock Photo ID: 1525868438

問題は、LGBT の人々に対する差別を禁止する規則が、他の多くの種類の政府規制と同様に、事業主の消極的な自由に対する正当な干渉を構成するのか、それとも不当な干渉を構成するのかということです。

これを決定するには、他の理論を参照する必要があります – (消極的自由とは異なり) 道徳的な目的を受け入れ、競合する目的が持つ可能性のある優先順位に関するガイダンスを提供する理論です。

積極的自由の概念はそのような理論です。 結局のところ、そのような概念は、完全に実現された人生を送るために私たちがしなければならないすべてを教えてくれるように設計されています。

しかし、これを行うには、そのような概念に、私たちがどのように生きるべきかについての非常に詳細な指示が含まれている必要があります。 これらの詳細な指示を考案するには、考えられる膨大な数の人生の選択を考慮して行う必要があります。 そして、これは、人が最終的に受け入れることができる積極的自由の可能な概念が膨大にあることを意味します。 その結果、ほとんどすべての人が、たとえ同じ宗教の人々であっても、他の人が抱く概念とはある意味で異なる概念を抱きます。

これらの違いは、多くの場合、本質的なものです。 したがって、積極的自由の概念の多くは、まったく相容れないものです。 たとえば、一部の概念では、愛する人と、同性であっても結婚できるはずです。 対照的に、別の概念では、結婚は男性と女性の間でのみ成立するものです。

信教の自由の保護

したがって、同性愛者の結婚を助長したり教唆したりすることは宗教の自由を侵害すると人々が主張するとき、ほとんどの場合、彼らが主張したいことは、それが積極的自由の特定の概念、(つまり私たち一人一人がどのように生きるべきかについての彼らの特定の概念)、彼らの宗教的見解に基づく概念に違反することを意味しなければなりません。

問題は、積極的自由という特定の見解を強制することは、自由社会における政府の役割と矛盾することです。

実際、自由社会の中心的な信条の 1 つは、政府は、(単独では) 合理的ではあるが (包括的には) 調和しない、善良で包括的な道徳的教義 と 人生計画 との 競合する概念の間で中立を保つべきであるということです。 しかし、積極的自由の概念、特に特定の宗教的見解に基づく概念は非常に物議を醸しています。

したがって、競合する片方を強制することは、この中立性への約束に違反することになります。 これを行うのは全体主義政府であり、自由民主主義ではありません。 確かに、積極的自由の概念を強制することを拒否することは、実際に私たちに宗教的自由を与えるものです。 さもなければ、一組の宗教的信念を除いてすべてを抑圧しなければならないでしょう。

共和主義的自由を守る

hands of interracial lesbian couple with lgbt rainbow bracelets: Stock Photo ID: 2260975555

積極的自由を保護することが、なぜLGBTの人々へのサービスの拒否を許す理由にはならないのか、私たち全員が理解できることを願っています。 もし私たちがこれを行うとしたら、すべての人の宗教の自由は進歩するどころか損なわれてしまうでしょう。 しかし、(こうした説明だけでは)そのような法律が伴う消極的自由への干渉が正当化されると考える理由はまだ特定できていません。

しかし、その正当化は共和主義的自由に見出すことができます。

共和主義的自由は恣意的な扱いから人々を守ることを忘れないでください。 区別は、防御可能な原則に基づいている必要があります。 しかし、何が同性愛者の結婚を「手助け」し、何がそうでないかをどのように判断できるのでしょうか?

通常の例は、最高裁判所が受け入れることに同意したばかりのケースのように、夫婦にウエディング ケーキを提供したくないパン屋の例です。 しかし、結婚する同性愛者へのサービスをあらゆる種類の企業が拒否できるでしょうか? 彼らは、夫婦自身だけでなく、関係者全員へのサービスを拒否できますか? 同性愛者との関係を促進すると必然的に一部の同性愛者が結婚するという理由で、彼らはどのような場合でも同性愛者へのサービスを拒否できますか?

ここで恣意的な区別に頼らずに境界を描く方法はないようです。(注3)

しかし、もっと重要なことは、同性愛者のカップルへのサービスの拒否自体が恣意的な行為であることです。 それは、黒人やユダヤ人、異人種間のカップル (inter-racial couples) へのサービスを拒否するのと同じように、支配 (domination) の行為です。

そうですとも、これに疑問を持っている人は、ジム・クロウ法 (注4) の下で黒人としての生活を経験するのがどのようなものだったか想像してみてください。 この種の制約を受けながら、自分自身を本当に自由だと思っているなどとは想像できません。 したがって、恣意的な扱いに対する保護は、自由を愛する人が選択する可能性のある善と人生の計画のほとんどすべての可能な概念の中心です。

これが意味することは、物議を醸す積極的自由のいくつかの概念を強制するのとは異なり、共和主義的自由を強制することは、政府は物議を醸す善の概念の間で中立であるべきであるという考えと矛盾していません。

そして、(私たち全員が同意できることを願っていますが…)これは、LGBTの人々へのサービスを拒否する人々の消極的自由への干渉が正当化されることを意味します。これは、LGBTの人々の共和主義的自由を保護し、他の誰の共和主義的自由も侵害しないからです。

この記事は、クリエイティブコモンズライセンス(CCL)の下で The Conversation と各著作者からの承認に基づき再発行されています。日本語訳は archive4ones(Koichi Ikenoue) の翻訳責任で行われています。オリジナルの記事を読めます。original article.

[編集者注]

(注1): 事例: 同性カップルが、コロラド州の企業である Masterpiece Cakeshop にウエディング ケーキの製作を依頼しました。 オーナーのジャック・C・フィリップスは、同性の結婚式に対する宗教上の反対を理由に、ケーキを作ることを拒否しました。 カップルは、コロラド州の差別禁止法 (CADA) に基づいて差別の罪で提訴しました。 コロラド州公民権委員会はMasterpiece Cakeshopに停止命令を出しましたが、コロラド州控訴裁判所は、この命令と CADA 自体がフィリップスの修正第 1 条の表現の自由と宗教的行為の自由を侵害しているという主張に対して、これを支持しました。 問題: 「コロラド州の公共施設法を適用してフィリップスに、結婚に関する彼の誠実な宗教的信条に違反する表現を作成させることは、言論の自由または憲法修正第 1 条の自由行使条項に違反するかどうか」結果: 2018 年 6 月 4 日、米国最高裁判所は 7 対 2 の判決で、コロラド州公民権委員会が米国憲法修正第 1 条の自由行使条項に基づくフィリップスの権利を侵害したとの判決を下しました. Ballotpedia

(注2): negative liberty, positive liberty の区分は(~ からの自由), (~ への自由) という分かり易い対比で引用されます。アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)が Two Concepts of Libertyにおいて提唱。他者の強制的干渉の有無で区分される。republican liberty は フィリップ・ペティット (Philip Pettit) が Repablicanism において提唱、(不支配としての自由)として引用される。(wikipedia)

(注3)恣意的な:気ままで自分勝手なさま。論理的な必然性がなく、思うままにふるまうさま(デジタル大辞泉)

(注4):ジム・クロウ法は、19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけてアメリカ南部で導入された州法および地方法であり、人種隔離を強制するもの。「Jim Crow」はアフリカ系アメリカ人に対する軽蔑的な用語である。(wikipedia)

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