
公開日: 2025年8月22日午後2時28分(中央ヨーロッパ夏時間)
著者: Roy Scranton

ロイ・スクラントン博士
米国、ノートルダム大学 英文学准教授
「マルサス主義者: “Malthusian”」という言葉を褒め言葉として使う人はいません。経済学者であり聖職者でもあったトーマス・マルサス (Thomas Malthus) が1798年に『人口論: “An Essay on the Principles of Population”』を初めて出版して以来、「マルサス主義者」の立場、つまり人間には自然の限界があるという考え方は、非難され、軽蔑されてきました。今日では、無限の進歩という楽観主義に敢えて疑問を呈する者すべてに、この言葉が投げつけられます。
残念ながら、ほとんどの人がマルサスについて知っていると思っていることのほとんどすべてが間違っています。
物語はこうです。昔々、あるイギリスの田舎の牧師が、人口は「幾何級数的: “geometrical”」な割合で増加するのに対し、食料生産は「算術級数的: “arithmetical”」な割合で増加するという考えを思いつきました。つまり、人口は25年ごとに倍増するのに対し、作物の収穫量はそれよりもはるかにゆっくりと増加するということです。時が経つにつれ、この乖離は必ず破滅へと導くのです。
しかしマルサスは、生殖を抑制し、災害を食い止める二つの要因を特定しました。それは、道徳規範、つまり彼が「予防的抑制: “preventative checks”」と呼んだものと、極度の貧困、汚染、戦争、疾病、女性蔑視といった「積極的抑制: “positive checks”」です。あまりにもありふれた風刺画では、マルサスは数学が苦手で、飢餓の唯一の解決策は貧しい人々を貧困に陥れ、子供を少なくすることだと考えていた、心の狭い聖職者でした。
マルサスをより広い文脈で理解すると、全く異なる人物像が見えてきます。2025年に出版予定の拙著『行き詰まり:気候変動と進歩の限界: “Impasse: Climate Change and the Limits of Progress”』で論じているように、マルサスは革新的で洞察力に富んだ思想家でした。彼は環境経済学の創始者の一人であるだけでなく、歴史は人間の改善、つまり私たちが進歩と呼ぶものに向かうという考え方を予言的に批判した人物でもありました。
神と科学
進歩 (progress) というテーマにおいて、マルサスは自分が何を語っているのか理解していました。
彼は、政教分離を主張する進歩主義の英国プロテスタントである異端者たち (dissenters) に育てられ、教育を受けた。急進的な奴隷制度廃止論者 (abolitionist) ギルバート・ウェイクフィールド (Gilbert Wakefield) の教えを受け、父はフランス革命のきっかけとなった啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソー (Jean-Jacques Rousseau) の友人であり崇拝者でもあった。
口蓋裂 (cleft palate) に苦しんでいたにもかかわらず、マルサスはケンブリッジ (Cambridge) 大学で応用数学、歴史学、地理学を学び、頭角を現した。中流階級の教育を受けた若者にとって、聖職者になる [go into the clergy*] ことは一般的な選択肢であり、マルサスはサリー州ウォットン (Wotton, Surrey) に牧師館を得る [secure a parsonage*]ことができた。しかし、それは社会科学への関心を捨て去ることを意味しなかった。(編集者注*)
『人口原理論: “An Essay on the Principle of Population” 』はマルサスの神学的見解 (theological views) に影響を受けながらも、深く実証的な著作 (empirical work) でもあり、後の版を重ねるにつれてその傾向は強まっていった。例えば、マルサスの幾何学的成長率 (geometrical growth rates) と算術的成長率 (arithmetical growth rates) に関する議論は、アメリカ植民地で目撃された急速な人口増加に基づいていました。

また、この議論は、イギリス内で彼の周囲で見てきた出来事にも基づいていました。18世紀末の数十年間、イギリスは度重なる食糧不足と暴動に見舞われました。人口は590万人から870万人へとほぼ50%増加しましたが、農業生産は低迷していました。1795年、飢えたロンドン市民は国王ジョージ3世の馬車に群がり、パンを要求しました。
限りない楽観主義
しかし、そもそもなぜマルサスは人口について論じていたのでしょうか?マルサス自身が説明しているように、彼の論文は、ジャーナリストで小説家のウィリアム・ゴドウィン: William Godwin(今日では『フランケンシュタイン: “Frankenstein”』の著者メアリー・シェリー (Mary Shelley) の父親として最もよく知られています)について友人と議論したことに触発されたものです。
マルサスとゴドウィンは似たような経歴を持っていた。二人とも反体制派 (dissenting) の中流家庭に生まれ、進歩主義的な学校で教育を受け、牧師 (minister) としてキャリアをスタートさせた。しかし、ゴドウィンの極端な急進主義は、同じ反体制派 (dissenters) とさえも対立させ、すぐに説教壇を降りて筆を執るようになった。
ゴドウィンの名声を高め、マルサスを刺激した著書は、1793年に出版された『政治的正義に関する探究: “An Enquiry Concerning Political Justice”』である。今日では、これは哲学的アナーキズムの創始書とみなされている。しかし、ゴドウィンの『探究: “Enquiry”』は当初、啓蒙主義的進歩主義を雄弁に物語る書物と見なされていた。
ゴドウィンは、理性を適切に適用すれば、あらゆる社会問題は解決できると主張した。彼は結婚の廃止、財産の再分配、そして政府の廃止を提唱した。さらに彼は、進歩は必然的にユートピアの世界へとつながり、そこでは人類は不死となり、もはや繁殖する必要がなくなると主張した。
「戦争も犯罪もなく、いわゆる司法も、政府もない。…しかし、それ以外に、病気も苦悩も憂鬱も憤りもない。すべての人が、言い表せないほどの熱意をもって、すべての人々の幸福を追求するだろう。」
A portrait of William Godwin by James Northcote, now in the National Portrait Gallery in London. Dea Picture Library/De Agostini via Getty Images:ジェームズ・ノースコートによるウィリアム・ゴドウィンの肖像画。現在、ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵。

ゴドウィンは読者に対し、こうしたことはやがて、理性的な議論が広まることによってのみ実現するだろうと保証した。
ウォットン村の貧困に苦しむ牧師館で暮らしていたマルサスは、異なる視点で物事を見ていた。歴史家ロバート・メイヒュー (Robert Mayhew) は、当時のウォットンを「農業貧困…高い出生率と短い寿命」に悩まされた産業荒廃地と描写している。歴史を研究したマルサスは、社会は常に右肩上がりの進歩路線を辿るのではなく、拡大と衰退のサイクルを辿るという結論に至った。ゴドウィンのユートピア的な物語は、証拠とは一致しなかったようだ。
改革 ― 理にかなった範囲で
マルサスはゴドウィンの誇張した進歩主義 (grandiloquent progressivism) を打ち破ろうとした。しかし、彼は前向きな変化が不可能だと言っているのではなく、自然法則によって限界があると言っているだけだった。
『人口原理論: “An Essay on the Principles of Population” 』は、そうした限界がどこにあるのかを明らかにし、不可能なことを達成しようとすることで社会問題を悪化させるのではなく、政策が社会問題に効果的に対応することを試みた。作家であり、ホイッグ党の活動家であったマルサスは、国民教育の無償化 (free national education)、参政権の拡大 (the extension of suffrage)、奴隷制の廃止 (the abolition of slavery)、貧困層への医療費の無償化 (free medical care for the poor) などを提唱した改革者だった。
それ以来、科学と産業は驚異的な進歩を遂げ、マルサスが到底信じられなかったであろう変化をもたらした。彼の論文が発表された当時、世界人口は約8億人だった。今日では80億人を超え、わずか2世紀余りで10倍に増加している。
その間、進歩の支持者たちは、人間には自然の限界があるという考えを軽蔑し、無限の成長という幻想に疑問を呈する者を「マルサス主義者 : “Malthusian”」と蔑んできた。しかし、マルサスが依然として重要な存在であるのは、彼の悲観的な社会観が、決して抑圧されることのできない洞察を明確に表現しているからだ。それは、自然の法則は人間社会にも当てはまる (The laws of nature apply to human society.) 、というものだ。
実際、過去80年間にわたる人類の発展と影響の「大加速: “the Great Acceleration”」は、社会を限界点にまで追い詰めた可能性がある。科学者たちは、地球上で人類が持続可能な生活を送るための9つの境界条件のうち6つを超えており、7つ目も超えようとしていると警告している。
その条件の一つが、安定した気候である。地球温暖化 (Global warming) は、海面上昇 (raise sea levels) 、山火事の増加 (increase wildfires) 、暴風雨の激化 (supercharge storms) だけでなく、干ばつの拡大 (amplify drought) や世界の農業の混乱 (disrupt global agriculture) も引き起こす恐れがある。
マルサスは、過去2世紀にわたる人類の成長を促した発展を予見していなかったかもしれない。しかし、成長の限界 (the limits of growth) に関する彼の根本的な洞察は、ますます重要になっている。地球規模の環境危機が加速する中、私たちは限界のある世界に生きているという悲観的な考え方を再考すべき時が来ているのかもしれません。「マルサス主義: “Malthusian”」とは何かを再考することが、その出発点となるかもしれません。

この記事は、クリエイティブコモンズライセンス(CCL)の下で The Conversation と各著作者からの承認に基づき再発行されています。日本語訳は archive4ones(Koichi Ikenoue) の翻訳責任で行われており、The Conversationによる正式な翻訳ではありません。オリジナルの記事を読めます。original article.
[編集者注*] スクラントン博士は英文学の研究者ですので、一般向けの The Conversation の文章にも日頃お目にかからない様々な英語表現が散りばめられています。英語に興味を持っている読者のために2つの例文をご紹介します。
go into the clergy: 聖職者になる
キリスト教会において、聖職者とは司祭から牧師、司教、そしてそれ以上の階層の宗教関係者全体を指します。もしあなたの人生の道が、他の人々が信仰を実践するのを助けることにあると感じているなら、聖職者になるべきです。
「聖職者: clergy」は「事務員(clerk)」から来ており、さらに「聖職者(cleric)」から来ています。もしあなたが「事務員」と聞いて靴屋で働く人しか思い浮かばないなら、こう考えてみてください。教会の奉仕活動に参加するということは、教会に仕えるということです。「聖職者」とは、聖職者全員を合わせた言葉であり、教会内で聖職者ではないすべての人々である「信徒」と対になっています。Vocabulary.com
secure a parsonage: 牧師館を得る
パーソネージ(Parsonage)とは、教会が聖職者に提供する住居を指す、やや古風な用語です。イギリスの田舎にある教会の司祭は、近くの牧師館に住んでいるかもしれません。
パーソネージ(Parsonage)は文字通り「牧師のための家」を意味し、パーソンとは聖職者の一員です。主に英国国教会で用いられますが、ルーテル教会でもよく用いられます。パーソネージは、他に教区牧師館(rectory)、聖職者館(clergy house)、牧師館(vicarage)などとも呼ばれます。田舎の小さな教会で司祭を務めることのメリットの一つは、魅力的な牧師館に住めることです。Vocabulary.com